洋菓子マウンテン

「僕はチョコレートが得意なパティシエです」

チョコレートの世界大会「ワールドチョコレートマスターズ2007」にて総合優勝を果たした人が口にするとは思えない、意外な言葉。ファンの中には「ショコラティエ」と名乗らないことに驚く人もいるのではないでしょうか。

水野直己さんは、京都府の北部、福知山市のパティスリー「洋菓子マウンテン」のオーナーパティシエです。同店は1978年に創業、地元の人々から愛される土台を造った先代の父親・亘さんから直己さんが受け継ぎ、今に至ります。

あくまでショコラティエと名乗らないワケは、「洋菓子マウンテン」の歴史が関係しています。
亘さんの時代から大量生産を良しとせず、品質にこだわり続けているケーキ。中でも看板商品の「チーズケーキ」は、地元ではバースデーケーキの代名詞になるほど、長らくその味が支持されてきました。

洋菓子マウンテン店舗外観

「先代から作り続けてきた洋菓子が地元のお客様の“当たり前”となっていくことを嬉しく思うと同時に、やめるわけにはいかないという使命感もある。僕はお菓子に囲まれて育ち、洋菓子から修業を始めた経緯もあって、やはりメインは生菓子。堂々とショコラティエとは言えません」

 

東京・フランスの修業を経て気が付いた、チョコレート作りの強み

自身の思いを謙虚に語る一方で「だからチョコレートは趣味で作っています」と、茶目っ気たっぷりにコメント。

「チョコレートは、フランスでの修業から帰国後に僕の代から始めたので、完全にやりたい放題(笑)。僕の好きなもの、コトをひたすらに詰め込んでいます」

隠れ家のような空間にあるショコラとマカロンのショーケース

まるで夢を語るかのように楽しさいっぱいの水野さん。
高校卒業後は、東京やフランスで13年修業。最初に就職した東京の洋菓子店「おかしの家ノア」で、初めてボンボンショコラと出合います。専用の厨房やショーケースなど本格的な設備を備えた店内で、オーナーシェフが一から教えてくれたと言います。

2軒目の修業先では東京のフレンチレストラン「パリジェンヌ」でチョコレート菓子を作り、2004年に渡仏。
パリのブーランジュリーでパンの製造に携わった後、フランス西部・ロワール地方の都市、アンジェに移住。今はなきパティスリー「ル・トリアノン」に入店します。「フランスの文化や人々の暮らしぶりにどっぷり浸かった2年間でした」と水野さんは振り返ります。

そして明確にチョコレートを作ろうと意識し始めたのは、2004年の帰国後。東京の二葉製菓学校で講師に就任した頃のことでした。

「コンクールに挑戦することになったのですが、周りの選手がチョコレートについてあまり明るくないようでした。その時に初めて『僕のほうが得意なんだ』と気づいたんです。

修業時代を思い返すと、他の人よりもチョコレートに触れる機会が多かったために、自然と詳しくなっていった感覚が大きいですね」。そんな環境下で生まれる品は「どんな時でもチョコレートが主役の、奇をてらわないシンプルな味」だそうです。

複雑で奇抜な味はいらない チョコレート本来の味が活きるシンプルな構成

水野さんが使用するベースのチョコレートは、フランスのプレミアムチョコレートブランド「カカオバリー」にオーダーした、特注のクーベルチュール。ここに、フルーツやハーブなどの副資材を水野さんのセンスでミックスしています。
ただし、加える副資材は1種か2種程度。と言うのも、チョコレートの味わいを際立たせたり、変化をつけたりするためのアシストに過ぎない、と考えているから。

「あれもこれもと混ぜて複雑にはしません。チョコレート本来の味が活きる味、子どもも美味しく食べられる味、と言えばわかりやすいでしょうか」

完成まで1年 大人気ボンボンチョコレート「杏と塩」ができるまで

この味わいを特に体現した商品が、何度も完売しているボンボンチョコレート「杏と塩」。
2006年、「UIPCG第7回マスタークラス世界選手権ドイツ大会」の出品作品が原型となった思い出深い品だそうで「完成するまでに1年かかった」と、当時の苦労を感慨深げに語ります。

ワールドチョコレートマスターズ受賞風景

「ワールドチョコレートマスターズで優勝経験のある、パティスリー『アステリスク』の和泉光一さんが僕のトレーナーについてくれて2006年のドイツ大会を戦ったのですが、4位に終わりまして。
このまま終わるわけにはいかない、と、翌年のワールドチョコレートマスターズ2007フランス大会に挑戦することにしました。再び和泉さんと出品作品を考えていたのですが、彼から『“杏と塩”をバージョンアップさせるといいんじゃないか』とのアドバイスで作り直すことにしたんです。
当時はミルクチョコレートと杏を組み合わせましたが、何かが足りない状態で…。さまざまな素材を試すうち、レストランの修業時代に、シェフが“サラダの塩加減がめちゃくちゃ難しい”と話していたことを思い出しました。
塩が足りないと野菜の味しかしないし、多すぎるとしょっぱくなってしまう。でも塩加減がバッチリ合った時、野菜の甘みが引き出されると教えてもらった…というエピソードを、真夜中の学校の教室で話していた時に、突然『塩だ!』とひらめいたんですね。
全く意図していないところから、まさにアイデアが降ってきた感じです。あの稲妻に打たれたような感覚は、後にも先にもないんじゃないかと思うほどの衝撃でした」

30以上の銘柄をテイスティング 軽快な後口を決定づけた“死海の塩”の存在

しかし、塩を足すとは言っても、塩の種類は世界中に岩塩、海塩、精製塩など多種多様にあります。

「フランスのブルターニュやゲランドの塩、沖縄のぬちまーす、もちろん精製塩も含めて国内外30以上の銘柄を試しました。それだけでなく、塩同士をブレンドしてみたり抹茶と塩を合わせてもみたりもしたのですが、一番イメージに近づけてくれるのが死海の塩でした」と水野さん。

死海の塩は粒がそろっていて結晶が固いため、溶ける速さが遅く最後まで口の中でとどまるのだそう。「『杏と塩』は杏の甘い香りから始まり、カカオの風味が後から追いかけてきます。その間、塩が杏やカカオの輪郭を際立たせるのですが、最後に後口のキレをよくするので軽快な印象だけが残るんですね」

さっと消え去る後口は「杏と塩」に限らず、どの商品にも共通する特徴です。その理由には、爽やかな酸味とカカオのボリューム感がありながら、クセがなく食べやすいチョコレートをベースに作っているからこそ。

水野さんのチョコレートは、何粒食べてもまた食べたくなるーー。軽やかな味わいが支持され、リピーターのリクエストから「杏と塩」の5粒入りも誕生しました。ここ数年は「“『杏と塩』を作っている水野直己”ではなく、僕を知らないお客様が『杏と塩』を覚えてくださることが増えてきた」のだとか。

地元に誇れるチョコレートを目指して

「僕のチョコレートも、当店のチーズケーキのように、地元のお客様の生活になくてはならないものになっていただけたら本望です。僕の名前が売れるより、ずっと価値のあることだと思っています」

最後に、国内のチョコレート界をリードし続ける水野さんだからこそ、都心部での出店予定について聞いてみました。

「都心、田舎関係なく、自分が生まれ育った場所で、家族と暮らしながら店を営むことがとても大切だと思っています。『自分の故郷には、誇れる店があるんだぞ』と。
そんな風に思わせてくれたのは、フランス時代にあちこち訪ねまわった地方の菓子屋でした。各地に個性的で素敵なお店がたくさんあって、その場所で暮らす人々が自慢に思っている。僕の店もチョコレートも、地域の人々から愛され続ける店でありたいですね」

洋菓子マウンテンのテラス席から望む街の風景

 

洋菓子マウンテンのアクセス・営業時間

所在地:京都府福知山市字猪崎小字山本322
アクセス:
<車>音無瀬橋を東へ、「ミニストップ三段池公園前店」様角の交差点を北へ。福知山市三段池公園の「三段池公園第1駐車場」の東。店舗前駐車場あり。
<バス・電車>福知山駅から徒歩30分。最寄りバス停は、京都交通川北線/三段池線「三段池」
営業時間:平日11:00~18:30、土日祝10:00~18:30
定休日:水
URL:https://www.naomi-mizuno.com/

この記事のライター:
ライター:中河桃子
滋賀県在住、地元ネタを中心に関西圏のグルメ、人、モノ、コトを取材。素材を活かしながら、手間暇をかけた美味しいものが大好物。
ツイッターアカウント:@shigawriter

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