L'atelier de Kanaru chocolat ラトリエ・ドゥ・カナルショコラ

BRAND STORYブランドストーリー

「佳(よ)い愛を繋いでゆく」を理念として、増田佳愛さんが立ち上げたチョコレートブランド「L'atelier de Kanaru chocolat(ラトリエ・ドゥ・カナルショコラ)」
ガーナのエンプレーソ・アマンフロム村のカカオ豆を使用したチョコレートを制作する、世界で唯一の工房が茨城にあります。

「カカオに関する社会的・文化的な問題を解決に導き、カカオを通して社会的・文化的に貢献する」という使命のもと、個人や事業者向けに、製造のレクチャーも行っています。


ショコラの本場・フランスで芽吹いた夢

弟さんのおしゃぶりを支えているのが佳愛さん(写真左)

幼少時はフランス・ブルターニュ地方の都市・レンヌで暮らしていた佳愛さん。
チョコレートは日常に溶け込んだ、とても身近なものだったそうです。

「ケーキ屋さんが街中の至るところにあって、ショコラトリー(チョコレートの専門店)もたくさんありました。私のお気に入りはLE DANIEL(ル・ダニエル)さん。シェフの奥様が日本人ということもあって、とても良くしてもらえました。ボンボンショコラ、ギモーヴ、サブレなどのフランス菓子が出来上がっていく様子を間近で見せてもらったり、トランペ(ガナッシュにチョコレートをコーティングする作業)をさせてもらったり、本当に貴重な体験ができました」

M.O.F(フランス国家最優秀職人章)を受賞した職人のお店に通える環境もあり、佳愛さん自身も小学生の頃からチョコレートを作っていたそうです。

「将来はショコラティエールになりたい!と伝えたら、お店で使用しているクーベルチュールのブランドを教えてくれたり、使わなくなったモールド(型)を分けてくれたりもして。商品にはできない、と弾かれたものを試食させてもらえる機会もありましたが、そこからもたくさんの発見がありました。商品として成立するもの・しないもの……幼いながらにも、分からないところは質問して、吸収して、そうして夢中でチョコレートを食べたり作ったりしていました」


その後、中学校の入学に合わせて帰国。
日本語がほとんど読めず、当時の流行も掴めなかったため、クラスメイトがいったい何を話しているか、さっぱり分からない状態だったそう。
それでも、伝えたい、話したいという強いモチベーションで、日本語も英語も習得していきます。

その間もチョコレートへの情熱は冷めることはなかったそう。

「フランスでは、クーベルチュールはスーパーにあったりするのですが、日本にはまったく売ってなくて。ケーキ屋さんに行って聞いてみたら、スーパーにはさすがにないよと言われて(笑)製菓材料を扱うお店を紹介してもらって、インターネット経由でお取り寄せして、道具も揃え始めました。フルーツのピューレを練り込んだガナッシュをよく作ってましたね。構成や形を考えるのも楽しくて、オリジナルのボンボンショコラをどんどん作ってました」

手作りのボンボンショコラは、家族だけでなく、クラスメイトにも食べてもらっていたそう。

「同窓の子達は皆、私のことを『チョコレートの人』と認識しています(笑)通っていた中学・高校はバレンタインでチョコレートを配ることがオッケーだったので、毎年バレンタインになると、クラスメイト全員に渡してました。『チョコレートって、こんなに美味しいんだよ~』って伝えたくて!200個くらい作ることもありましたよ。学生の頃って、もらえる人・もらえない人がいたりして、気を揉むじゃないですか。そういうのが嫌で。皆で美味しさを分かち合って、皆がハッピーなのが一番じゃないですか。だから全員分、作って渡すんです!」

圧倒的な博愛精神とバイタリティーで腕を磨き続けてきた佳愛さん。
高校卒業後に選んだ進路は製菓学校、ではなく、大学のフランス文学科でした。

「恩人であるル・ダニエルさんが通っていたル・コルドン・ブルー(フランス料理・製菓の教育専門機関)に行くことも考えました。ただ、私がショコラを作れるようになったのは、当時幼かった私の質問や疑問を熱心に受け止めて、積極的に対話をはかってくれたダニエルさんの言葉の力も大きかったんじゃないかなと考えたんです。そこで、私は人間の文化や人とのコミュニケーションが好きなんだなって気が付いて。語学も本格的にやりたかったので、ネイティブから生きたフランス語を学べる環境を選びました」

海外インターンを経て、カカオ豆を扱う商社へ


「無事大学に合格して、受験勉強から解放されて、『やった~!久しぶりにチョコレートを作ろう!』と思ってクーベルチュールの原材料ラベルを眺めていた時、ふと、チョコレートの原料はカカオ豆なんだ、ということに気が付きました。中学高校と勉強してきて、視野が広がったからこその発見だったのですが、それまで『お菓子の原料』としか認識していなかったチョコレートも、さかのぼると植物で、栽培している農家さんが存在するんだと想像して、衝撃を受けて……そこからカカオの探求が始まりました」

大学でフランスの文化や文学を学びながら、佳愛さんはチョコレートの原料である『カカオ』に着目し、カカオ豆からチョコレートを作っている専門店でアルバイトを始めました。さらに、カカオ生産者と生活を共にできる海外インターンにも参加します。

「春休みを使って2か月ガーナに行きました。現地の村は、電気や水のインフラが日本のように整っていないので、支援の必要性を強く感じました。ただ、彼らの話によくよく耳を傾けてみると、彼らが求めているのは『自分たちが今できる仕事』でした。綺麗な水が欲しいとか、豊かな生活がしたいとか、そういうこと以前に、やりたいことがなく時間を持て余していると。そのやりとりを通して、自分ではない誰かの意思に寄り添う重要性に気が付いたんです。一方的に支援する側・される側という関係を作り出すのではなく、目の前の人がやりたいことを生み出してサポートする。そうやって自分も彼らも対等に共生して豊かにハッピーになっていく。それが真の意味で『持続可能な支援』なのではと考えました」


こうして、インターンで訪れたガーナのエンプレーソ・アマンフロム村でカカオ生産者自立支援事業を立ち上げた佳愛さん。
当時出会った、村のカカオ生産者を取りまとめているコフィさんとは今でもやりとりを続けているそう。
さらに、インターンでの活動が注目され、カカオ豆の専門商社に入社することになりました。

「カカオを通して社会貢献したい、貢献の幅を広げたいと考えた時に、カカオ豆を取り扱う唯一の国内商社は最適の場所でした。商社というと、漠然と『ものを流す』イメージしか持たれていないことが多いですが、実際には想像力や情報収集能力が問われる業務の連続です。主な仕事は現地のバイヤーや協同組合からの買い付けになりますが、仕入れるタイミングで利益が変わってしまうので、相場は日々チェックしています。私の場合は、現地の気候や発育状況も詳しく聞き取りしていました。作物が獲れないというのは、生産農家にとっても商社にとっても致命的なダメージになるからです。例えば、雨が多いなら葉っぱをかぶせる、乾燥しているなら葉っぱをかけるとか。人間の力で気候を変えることはできませんが、気候にあわせて対策を取ることならできます。私の強みは『現地の言葉で相手とコミュニケーションできること』なので、それを生かした業務をしていました」

フランス語・英語・日本語の3つの言語を習得している佳愛さん。
カカオの発酵や品種に関する海外の論文を読破し、現地に情報を提供することもあったそう。

「使い慣れない言語で説明する時と、いつも使っている言語で説明する時とで比較すると、伝えられる情報量も正確性も格段に違います。今はスマホを使用して翻訳ができる時代と言われていますが、その翻訳のニュアンスがあっているかどうか、本当に知りたい情報が引き出せる質問の仕方なのか、それを確認できなければ、すれ違ってしまうリスクがあります。お金のやりとりのみのビジネス的な関係ではなく、心から分かりあうためには、現地の言葉で、現地の人々の暮らしや気持ちに寄り添う必要があるんです。直接コミュニケーションするからこそ得られる情報や、繋がってる安心感というか、生まれる信頼関係があります」

海外とのやりとりに加え、輸入されるカカオ豆の品質チェックや焙煎のテスト、納入先の国内原料メーカーやクラフトチョコレートを製造する個人店へのサポート……多角的に生産国に貢献を続ける佳愛さんには、ある野望がありました。


「大学時代に自分が自立支援事業を立ち上げたガーナのエンプレーソ・アマンフロム村のカカオ豆を単独で仕入れたかったんです。とはいえ、特定の村のカカオのみを指定して仕入れることは普通はできません。というのも、ガーナでは、政府がカカオ豆を一括管理し輸出しているからです。そのシステム自体を変えるのは難しいですし、他国の商社が働きかけるのも筋が違います。ただ、現地で村々のカカオ豆を集荷するルートや、船に乗って日本にくるまでの手続きや流れを理解したら、ガーナのルールを変えなくても、その村のカカオだと分かるように仕入れることはできる。その方法を導き出したので、現地の関係先に働きかけることにしました」

そして2022年、ようやく念願のカカオ豆が日本に届きました。
商社としては特定の村のプレミア品として販売するという選択肢もありましたが、日本に到着した麻袋を目にした瞬間、自らの手でチョコレートにしたい、という気持ちが強くなった佳愛さん。
ついに、自身のショコラブランドを立ち上げることを決意しました。

「幼少時からチョコレートを食べて、作り続けてきて、今なら生のカカオ豆の品評もできるし、カカオ豆のポテンシャルを生かして焙煎する技術もある。現地の農家さんとも密にコミュニケーションを取ってきた自分だからこそ作れる味、貢献できる方法があるのではないかと思って、思い切って倉庫と製造場所を作り始めました」

愛の溢れるショコラで、皆が幸せに


カカオ豆そのものに寄り添ってチョコレートを創っている、という佳愛さん。
その方法は非常に繊細でかつ論理的です。

「私の場合、決まった製造方法というものはなくて、その時に手に入ったカカオ豆のポテンシャルを最大限まで引き出すことを重視しています。『この産地の豆だから、こういう味にしよう!』と決めてはいないんです。商社によって選別され、味わいの均一化された豆も使用していません。船に積まれて日本にやってきた、麻袋に入ったままのカカオ豆を、状態を見極めながら使用しています。麻袋に詰められた位置によっても、豆のコンディションは変わります。なので、調整はとても難しいですが、そのカカオ豆の本来の輝きを引き出すために、手間は惜しみません。豆の状況から船の環境を想像して、それによって焙煎の温度の上げ方も変えますし、砂糖を入れるタイミングも見極めます。適宜、香りを確認して感覚的な調整も加えつつ、水分値の計測も行って、しっかりと根拠に基づいた美味しさを作り込むようにしています。大切な友人が育てたカカオですし、自分が食べるもの、大切な人が食べるものですから」


そんな想いが込められた佳愛さんのチョコレートは、リピートのお客さんが圧倒的に多いのだそう。
中学や高校からの同級生、佳愛さんの商社時代の働きっぷりに惚れ込んでいる同業のファンだけでなく、その味わいに魅せられて『みんなにもプレゼントしたい!』と同じ日に買いに戻って来た方も。

こうして、小さいころからの夢を叶えた佳愛さん。サロンデュショコラで来日したル・ダニエルさんにも開業を伝え、喜びを分かち合ったそう。

「カカオに関わらず『原料』とは、土壌や、そこにある暮らしから生まれるものです。そして、それを生み出す人間がいなければ、私たちはそれを口にすることはできません。だからこそ、やみくもに売るためのチョコレートを作るのではなく、携わった人が皆幸せになれる持続可能な方法で、チョコレートを食べる文化を根付かせていきたい。作る人も食べる人も、お互いを思いやる。そういう豊かな文化を醸造していくことに貢献していきたいです」

生産者に寄り添い、自然と文化をリスペクトする佳愛さんが生み出す、壮大な愛に溢れるチョコレート。
その特別な美味しさを、是非体感してみて下さい。

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